怪物レスラーと呼ばれ、恐れられているプロレスラー諏訪魔さん
あの武藤敬司さんに「1番強い男」と言わせた人ですよね!!
暴走専務と恐れられ、試合もめちゃくちゃ迫力あって凄い選手ですよね!!
その迫力にビビりますよ((^^;)
でも、そんな諏訪魔さんがどんな人か気になりますよね?
というわけで、今回諏訪魔さんについて調べてみました☆
目次
諏訪魔のプロフィールは神奈川県藤沢市出身
生年月日:1976年11月23日
出身地:神奈川県藤沢市
本名:諏訪間 幸平(すわま こうへい)
血液型:A型
身長:188cm
体重:120kg
学歴:藤沢市立亀井野小学校→藤沢市立湘南台中学校→私立藤嶺学園藤沢高等学校→中央大学卒
所属:全日本プロレス
諏訪魔さんは藤沢市出身で、高校までは地元の学校に通ってて、地元に愛着をもたれているんでしょうね(^^)
また、諏訪魔さんはデビュー当初は本名でリング名を名乗ってたらしいですが、ヒール(悪役)に転向する際に「諏訪魔」と改名しました。
改名当初は赤髪だったとのことで、物凄い迫力だったでしょうね(^^;)
諏訪魔の経歴はレスリングから転向しプロレスラーへ
諏訪魔さんは1976年11月23日に神奈川県藤沢市に生まれます。
小学校中学校時代は野球少年でしたが、諏訪魔さんのお父さんがプロレスが好きということもあり、段々とプロレスに興味を持っていきます。
高校時代は柔道部に所属しながらレスリングにも取り組み、大学入学後、本格的にレスリングを始めます。
高校の部活動では入部当初にいじめに遭い、登校拒否寸前に追いやられたそうですが、負けずに頑張ったそうです。
全日本大学選手権3位の成績を残し、大学卒業後は住宅機器メーカークリナップに入社し、レスリングを続けます。
2001年12月に天皇杯全日本レスリング選手権大会で最重量級の130kgに出場し、4位に終わります。
2002年では全日本レスリング選抜選手権と国体で優勝し、その実績で世界選手権代表にも選ばれました。しかし、天皇杯全日本レスリング選手権大会では準優勝に。
2003年は世界選手権に出場するも予選敗退、天皇杯全日本レスリング選手権大会では前年に続き準優勝でした。
2004年にはアテネオリンピックを目指していましたが、自身の階級の出場資格を取得することができなくなり、同時にスカウトを受け、プロレスラーに転向します。
全日本プロレスへの入団会見の際にはこう語っていました。
「全日本プロレスに就職します」
「プロレスは小さい頃から好きだった。大学の先輩のジャンボ鶴田さんのようになりたい」2004年4月に諏訪魔さんはデビュー戦を迎えますが、相手選手が太陽ケアさんだったはずが台風の影響で急遽変更、スカウトした馳浩さんになりました。
2005年1月4日にはヘビー級バトルロイヤルで優勝します。
2005年の諏訪魔さん
2006年1月8日の大阪大会でヒール軍団VOODOO-MURDERS(ブードゥーマーダーズ)に入団します。
この時まで本名である「諏訪間 幸平」を名乗っていましたが、入団と同時に「諏訪魔」に改名し、ヘアースタイルも赤髪に変えます。(現在は金と黒髪です)
2008年1月の脱退以降も「諏訪魔」のリングネームを名乗っています。
2008年4月にチャンピオンカーニバルで棚橋弘至さんを破り優勝、名古屋大会では佐々木健介さんを破り、デビューから最短で三冠ヘビー級王座を獲得しました。
「過去の三冠王者の中で俺が1番弱いんじゃないかと思う。これからが勝負」と謙虚に語っていたそうです。
2008年9月にはグレート・ムタに破れ三冠王座から脱落しますが、2010年8月に再び三冠王者に返り咲きます。
2010年9月には全日本プロレス選手会長に就任します。12月には第37回プロレス大賞殊勲賞を獲得します。
2010年10月24日の試合
2013年6月には全日本プロレス所属する多数の選手やスタッフが退団する中で一番に残留を表明します。
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2014年7月には全日本プロレスの運営が変わると同時に、新法人の取締役に就任します。
現在もプロレスラーと活躍する一方、レスリングクラブ「横浜デビルズJr.レスリングクラブ」を主催し、新しい世代を育てています。」
小さな頃から憧れていたプロレスラーに、紆余曲折ありながらもなって、すぐに三冠王者となるなんて凄いですね!!
諏訪魔選手は根本的に格闘技の才能があったのでしょう。
才能だけではなく、物凄い努力もし、プロレス会に君臨する存在になったんでしょうね!!
男性は皆尊敬しますね(^^)
大柄な選手が多い全日に入れたのはよかったのではないかと思います。大柄な選手同士のぶつかりあいがあるというのが、馬場からの全日の伝統的なプロレスですからね。
諏訪魔が全日本プロレスの暴走専務を辞任した理由
諏訪魔さんが全日本プロレスの専務についたのは理由があります。
デビュー当時は武藤敬司さんが社長の頃に入団しています。
恩師と言える存在の武藤敬司さんの下、プロレスラーとして育ててもらっていました。
しかし、2013年に運営会社が「スピートパートナーズ」社に変わり、武藤敬司さんを中心に多くの選手スタッフが退団しました。
その中、諏訪魔さんは恩師である武藤敬司さんと袂を分かつことになりますが、全日本プロレスに残留することを1番最初に発表します。
「1人になっても全日本の看板を守ります」そう語ったのち、2014年7月4日に全日本プロレスの運営が秋山準社長の新法人「オールジャパン・プロレスリング株式会社」に変わったため、新法人の専務取締役に就任しました。
看板を守ると誓っていましたが、今度は全日本プロレスの看板を背負う1人になりました。
「自分は全日本の現場、オフィスをできるだけ社長に負担がいかないように、しっかり回す。そこに重点を置きたい」と語っていました。
その後、暴走専務と呼ばれていました。
しかし、2015年12月15日に秋山準さんが現在持っている三冠ヘビー級王者へ挑戦すると同時に専務取締役を辞任することを明らかにしました。
2015年11月29日には秋山準社長には辞任の申し入れをしていたそうです。
理由としては
いろいろな人間が抜けて、ある意味焼け野原みたいになっている。どうすれば全日本がいい方向にいくか。専務という立場を降りてリング上に集中したいと語り、1人のプロレスラーとしてリングを盛り上げることを誓いました。
全日本プロレスを守るために恩師とも別れたときは辛かったでしょうね。
でお、看板を守るということはある意味誇りを感じます!!
そのために大役である重役にも就任したんでしょうね☆
これからは経営を心配することなく、リングで暴れまわって欲しいですね(^^)
大きな身体を駆使してもっともっと暴れまわってもらいたいですね。
諏訪魔はプロレスで町おこしイベント
諏訪魔さんは全日本プロレスで活躍する傍ら、地元の神奈川県だけに留まらず、全国で地域活性・社会貢献活動をしています(^^)
名前は「すわまちおこし」だそうですよ☆
最初は2011年に自身の後援会である「諏訪魔會」の発会式の際に東日本大震災のチャリティー募金をしました。
2012年にはチャリティープロレス大会を地元の藤沢市で行い、ゴミ広いなども実施しました。
また、「すわまちおこし」としてプロレス大会を神奈川だけではなく、大阪などでも行なっています。
また、藤沢北警察署の1日所長を務めたり、大和市のコンビニローソンで1日店長務めるなど、地域に密着した活動も行なっています。
たま~にこういうコンビニの店員さんがいますが、こんな警察署長がいたらビビッて悪さできませんね(^^;)
そんな「すわまちおこし」が大阪市淀川区民センターで開催されます!!
諏訪魔選手には今後も頑張ってほしいですし、すわまちおこしが自分たちの地元に来ないかなっと思いながら応援しましょう(笑)
全日のみならず日本のプロレスをひっぱっていってもらいたいですね。これからの諏訪魔選手の活躍に期待していきたいと思いますね。
https://sebastianoarmelibattana.com/2019/02/22/post-3957/