kushida プロレスの彼女は?結婚は?兄は?高橋ヒロムとは?怪我は?師匠は?

今回は、新日本プロレスのkusida選手について書いていきたいと思います。kusida選手は、彼女はいてるんでしょうか?結婚とはしてるんでしょうか?

 

人気はあるのですか?髪型はどうなんでしょうか?ハゲてるという噂は本当なんでしょうか?それでは、そんな彼の素顔に迫ってみたいと思います。

 

KUSHIDA 2017.jpg
2017年
プロフィール
リングネーム KUSHIDA
YUJIRO
櫛田 雄二郎
本名 櫛田 雄二郎
ニックネーム タイム・スプリッター
トルネード・スター
竜巻KID
プロレス界のマー君
身長 175cm
体重 85kg
誕生日 1983年5月12日(35歳)
出身地 東京都大田区
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 総合格闘技
バスケットボール
トレーナー 桜庭和志
TAJIRI
デビュー 2005年9月18日

ジュニアの選手としては、いい線をいっていますね、桜庭選手がトレーナーになっているということがいいですね。

目次

kushidaは 彼女はいるの?結婚は?

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kusida選手は、情報的には、彼女とか熱愛の噂もないし、結婚もしてないようですね。とくにプロレスラーは、情報をシャットアウトしているとこもあってわかりにくいですが、おそらく未婚ですね。彼女はいるのかどうかはわかりかねますね。おそらく、人気レスラーなのでいるんじゃないですかね。

kushidaは、 人気あるの?つまらない?

KUSHIDA3

昨年の中ごろまでは、新日本プロレスのジュニアを引っ張るのはKUSHIDA選手
しかいないような雰囲気でした。

田口隆裕選手も、独自路線を進んでいく雰囲気だったし、ライバルとされていた
BUSHIとの抗争も落ち着いた感じでしたからね。
それが数ヶ月、高橋ヒロム選手の新日本プロレス復帰というのがあったとしても、
現在のKUSHIDA選手は、方向性もブレブレ。

きっと、現在は何をやっても上手くいかない、完全に低迷期。
新日本プロレスファンからも、ブーイングが起きる選手の一人となってしまい
ましたね。
今月に始まる『BEST OF THE SUPER Jr.24』で復活なるか?
焦点はそこに尽きることになるでしょう。
KUSHIDA選手の人気の低さは、この格闘家出身というのがポイントとなっている
みたいですね。

確かに、ジュニア特有の空中技もしっかり使いこなしているKUSHIDA選手ですが、
関節技などを多用し、他のジュニアレスラーとはちょっと違うスタイルを取って
いるのは事実。

これが、プロレスファンにとっては、試合運び面白くないってなるんでしょう。

他にも、新日本プロレスの「ジュニアのエース」と名付けられたのも、反感を
買っているようですね。

総合格闘家から転身し、他団体でプロレスデビューした、いわゆる生え抜きでは
ない
KUSHIDA選手が「なぜ、新日のジュニアのエースなのか?」と!!
確かに、これは難しい問題ではありますね。

KUSHIDA選手が圧倒的な強さを見せ、そして試合内容で魅了することができれば、
マイナスなファン感情も吹き飛ばすことができるんでしょうが・・・

現在のKUSHIDA選手に、その力がいまあるのでしょうか?

総合の格闘家から、プロレスラーというのはいいですね。格闘家にとって試合運びがどうとかは、慣れるまでは、なかなか難しいかもしれませんね。

kushida のインスタは?

 

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ライガーさんと3時間‼️撮影終了。

KUSHIDAさん(@kushida_ts)がシェアした投稿 –

 

kusidaのインスタからですが、やはりライガーさんと仲がいいのでしょうかね?

年齢も上の大先輩ですけど、ライガー選手のようにジュニアの象徴になってほしいですね。

kushida は、兄がいる?

5つ年上の兄もプロレスが大好きで、バック転ができるようになったのもお兄ちゃんが布団の上で教えてくれたからだった。優しい兄は、KUSHIDAの技を全部受けてくれ、そのプロレスごっこの模様は家庭用ビデオで映像に収めてくれた。あとでその映像に兄弟で音声をかぶせて解説をしたり、対戦カードのテロップを入れたりして、子供にしては高度なプロレス中継を制作していた。

のちに兄は大学卒業後、「やりたいことがない」と就職をせずしばらくフリーター生活を送っていたが、実家に帰ってきたある日、当時自分たちで作った映像を観て「あ、俺ってこういうこと好きだったんだな」って気づいてテレビの制作会社に入った。

あのプロレスごっこの映像を撮っていた兄は制作会社に入り、映像に映っていた弟はプロレスラーになったという櫛田家の美談である。

しかし、プロレスラーKUSHIDAの原点が本格的に育まれるのはそのあとのことだ。その原点とは、格闘技の教養と技術である。

兄や家族から影響されることは、家族なら必ずありますね。その結果として、プロの道で花開くことがあるというのはいいですね。

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kushida と高橋ヒロムの関係は?秒殺された?

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2017.4.9 両国国技館大会でわずか「116秒」で高橋ヒロムに瞬殺されたKUSHIDA

KUSHIDAは、スマホ日記にて両国国技館大会についてこのように話していた。

 

脳震盪を起こして何も覚えていない・・・

 

きっと・・・これを高橋ヒロムが読んで、「負け惜しみ」と言ったのだろう。

 

また、脳震盪について「ウソ」とまで言い切っている。

今現在の新日本プロレスは、ケガのため長期離脱をしている選手がいる中、脳震盪について「ウソ」とまで言い切ることは、ある意味、リスクの高い発言だろう。

同じジュニアで戦う選手として、高橋ヒロムは、kusidaが負け惜しみをいっているように聞こえたのだと思いますね。秒殺したのに、負け惜しみを言っているのが気に食わないのでしょうね?

kushidaは怪我していた?

KUSHIDA、脳しんとうを起こしていた

4月9日(日)新日本プロレス サクラ・ジェネシス2017両国大会の第8試合では、高橋ヒロム vs. KUSHIDAのIWGP Jr.ヘビー級王座戦が行われました。試合はゴングの前に挑戦者のKUSHIDAがコーナーポスト上から場外の高橋ヒロムにトペ・コンヒーロを決めて、そして試合スタート。しかし試合中ヒロムがエプロンに立っていたKUSHIDAに、場外めがけてのサンセットフリップ・パワーボムを決めると、KUSHIDAは場外で頭を強打してしまう。
その後動けなくなったKUSHIDAをリングに戻したヒロムは、必殺技のタイムボム2発を決めて試合時間1分56秒でKUSHIDAから勝利。試合後も動けないKUSHIDAは、スタッフの肩を借りてバックステージに戻って行きました。

そして4月23日(日)に更新された新日本プロレス スマホサイトのKUSHIDAの日記で、4月9日の高橋ヒロム戦での敗戦後 “この世の1番深い底にいるような気さえするのは、脳しんとうの後遺症かもしれない” と綴っています。どうやらKUSHIDAは高橋ヒロム戦で脳しんとうを起こしていたようです。
しかし敗戦から2日後の11日にはRPW出場の為に英国に向かったKUSHIDA、現地時間4月13日(木)※日本時間では14日にRPWでザック・セイバーJr.のブリティッシュ・ヘビー級王座に挑戦している事から、どうやら軽度の脳しんとうで済んでいたようです。(※試合は25分を超えて、ザックが勝利しています。)

脳しんとうと言っても、程度の問題で数日で復帰できる事もあれば、1ヶ月以上かかる場合もあります。4月10日放送のWWE RAWで脳しんとうを起こしてしまったフィン・ベイラーは、翌週のRAWの前に検査を受け、そしてその日のRAWで試合復帰しています。ただしこの日ベイラー、相手からの攻撃を受ける事はありませんでした。
心配なのはKUSHIDAの日記では検査を受けた事が書かれていません。ちなみにWWEでは脳しんとうを起こしてしまった場合、インパクト・テストを受けて、完全に問題無い事が確認されるまで試合に出場する事が出来ないそうです。KUSHIDAもちゃんと検査を受けていれば良いのですが……。

2014年7月4日の後楽園ホール大会で、当時IWGP Jr.ヘビー級王者の飯伏幸太に挑戦したKUSHIDA。そのKUSHIDAのキックが飯伏の頭部にヒットして、飯伏は脳しんとうを起こしてしまいました。その後欠場となった飯伏だが、すぐ復帰する事が発表されたにも関わらず、結局脳のダメージが回復していない事が発覚して、出場が予定されていたDDTの試合とG1クライマックス24を欠場する事になっていました。

また心配されるのは、4月9日両国大会の高橋ヒロム vs. KUSHIDA戦の後に行われた、オカダ・カズチカ vs. 柴田勝頼のIWGPヘビー級王座戦では、試合後柴田が硬膜下血腫と診断され手術を受ける結果となっています。術後柴田は意識がはっきりしていて、命には問題無いようですが、2試合続けて脳にダメージを負わせる事態が起こっているので、今後最悪な状態に至る事が無ければ良いのですが……。

脳震盪とか、プロレスラーは大怪我には気をつけて欲しいですね。

kushida の師匠はだれ?

ハッスルを退団されたということですが。

 

はい。3月31日付で退団しました。ハッスルに残ってやるよりも、海外に行って修行することを決意しました。もっと試合がしたい、海外のリングで試合がしたいから、というのが主な理由です。今年の5月で26歳になるんですが、それも理由のひとつです。歴史上の重要な人物は26歳で行動を起こしているから。ボクは坂本龍馬が好きなんですが、龍馬が脱藩したのが26歳のときなんです。土佐から江戸へ旅立つことなら、現在なら日本から世界に出ることかな。あと、愛読している『深夜特急』で沢木耕太郎さんが旅に出るのが26歳で、TAJIRIさんがアメリカに挑戦したのも26歳らしい。

 

――以前から海外挑戦への思いはあったんですか?

 

それはもう、デビュー直後から既に心の中にありました。デビューしたときからTAJIRIさんには「いずれは行かないとね」とは言われていましたし、公私ともにTAJIRIの弟子だったボクとしては「いつかは!」とハッスルでの3年間、常に考えていました。

 

――師匠のTAJIRIさんに相談は?

 

TAJIRIさんに「行け」と言われたわけではなかったんですが、報告したら「よかったね」と喜んでくれました。やっぱり、TAJIRIさんの場合はアメリカに行かなきゃ始まらないという考え方の人だから。そういう話をずっと聞かされていたから、自然と影響されていたのかもしれないですね。

WWEで大活躍した、毒霧で有名なTAJIRIが師匠なんですね。師匠に続いてアメリカで活躍できるようになれればいいですね。

高校時代は高田道場で桜庭と猛練習

【スポーツナビ】

――最初はZSTに出てましたよね。

元々は高田道場で総合格闘技をやっていました。

――総合格闘家を目指していたんですか?

いえ、プロレスをやるために高田道場に入ったんです。中学3年生のときに実家の近くに高田道場が出来たので、これは運命だと。設立と同時に入門しました。やっぱりUインターを見て高田(延彦)さんや桜庭(和志)さんに憧れていたので。佐野巧真(現ノア)さんもいましたね。

――高田道場の1期生ですか!

プロレスをやるために高田道場に入ったけど、実際には総合格闘技の練習の毎日で。だから、高校の時は“ライバルは高校時代の桜庭さん”と想定してメチャクチャに練習しました。当時の桜庭さんはPRIDEで連戦連勝してすごかったんですよ。一気に会員が増えましたから(笑)。

――すごいときに一緒に練習してたんですね。それでZSTに出ることに。

ZSTは強制的に出させられたんです(苦笑)。総合はイヤだったんですけど、まあ、同じリングだし、レスリングの技術と寝技はそこそこ自信もあったので。(本名の櫛田雄二郎で8戦6勝2分)。所英男さんとは、やりたかったですね。絶対おもしろくなったと思います。

桜庭と同じ道場で練習していたということで、実際の師匠とは少し違うような気がしますね。言葉をうまく使えばいいので、まるで一緒にスパーリングしていたかのようないいまわしですね。kusidaの師匠はTAJIRIでいいと思いますね。

kushida 髪型、ハゲなの?

dontakujr

kusida選手の髪型は完全にソフトモヒカンですね。ハゲているという噂をよくききますけど、刈り上げてモヒカンができるような髪型なんで、きっとはげではないですね。試合が激しかったりするので、頭が部分的に薄くなってしまっている部分があるかもしれないですけど、はげでがないではないですね。

 

 

 

クシダ プロレスの 入場曲は?

  • KUSHIDA MAKES YOU ROCK
2012年1月 – 現在まで使用。作曲者はGEEKS。
ビッグマッチやタイトルマッチでは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のテーマソングを前奏に付けて入場する場合もある。
  • KEEP ON BURNING
新日本プロレス移籍後のテーマ曲。2011年6月 – 2011年12月まで使用。
  • Jump / Van Halen
新日本移籍前より使用していたテーマ曲。

入場曲は渋い曲ばかりですね、曲のとおりに渋いプロレスを見せて欲しいですね。どうですか?KUSIDA選手はまだまだ年齢も若いし、実力もある、これからの新日本を背負うのにふさわしい選手であると思います。これからのkusida選手のご活躍を期待しております。

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