今回は、邪道プロレスで有名な大仁田厚について書いていきたいと思います。
目次
大仁田厚は顔いじりすぎ、整形しすぎ?
さて大仁田厚さんの整形疑惑ですが、結論から言うと整形してます。
特に隠しているわけでもなく、ご本人も認めています。
以前テレビ番組で、大のプロレスファンで知られるお笑いの芸人のケンコバさんが、大仁田厚さんに直接、整形疑惑を問うという企画がありました。
その時ケンコバさんは単刀直入に整形疑惑について質問した。
大仁田厚さんはあっさりと認めたそうだ。
整形の理由は、過激なプロレスの電流爆破マッチを何度もするうちに、顔がやけどして変形しやすくなってしまったそうです。
そしてその都度、美容整形で顔の変形を直してるとのこと。
「ふーん」って思いますが、それにしても以前よりも顔がほっそりして若返ってますが・・・。
単に顔の変形を直すだけでなく、どうせならカッコよくしてもらおう、っていうことなのかもしれませんね。
しかし、大仁田厚さんって現在還暦です。
年齢に見合わない若々しい顔に、若干違和感を覚えるのは正直なところ。
プロレスラーとして活動するにも年老いた痛々しい姿は見せられないし、選挙に出るにも傷だらけの変形した顔で出馬するよりは、若々しいきれいな顔のほうが、印象はいいですからね。
デスマッチや電流爆破で顔を怪我したので整形して治したということなんですが、整形してることを素直に言うのはまあ、オトコらしいですね。でもいちいち
整形するのはどうかと思いますね。
大仁田厚ヒストリーとは
“涙のカリスマ”と称される。95年5月5日、川崎球場で2度目の引退。96年12月に復帰すると、以後、引退、復帰を繰り返す。2001年に自民党から参院選に出馬し当選。42歳で駿台学園高等学校を、47歳で明治大学政治経済学部経済学科を卒業。
政治家も勤めたことがあるんですね、しかも夜学ですが勉強して大学も卒業してるんですね、意外に勉強家なところもあるんではないでしょうか?
ちなみに日刊スポーツの連載が大仁田ヒストリーって名前なんですね。
大仁田厚の現在は?
大仁田厚さんは、
現在、生きていくためにどのくらいの年収を稼いでいるのでしょうか?
大仁田厚さんの現在の年収は『確証ある情報はありません』ということでした。
大仁田厚さんの年収について調べていると、以下のような記事を見つけました。
(前略)
そして、16歳の時にプロデビュー。当時のファイトマネーは1試合5000円だったという。
(中略)
「一番多い時で、年間260試合」と語る大仁田のMAX年収は約1億7000万円。32、33歳頃だったという。
(中略)
稼いだ金で車を購入。ベントレー、ベンツSL、ボルボなど、次々と新車を買っていったという。
さらに、余っていた(?)1億円をタンス貯金ならぬ、ダンボール箱に入れて保管。
(中略)
2007年に政界を引退。現在(2016年)も年間200回のプロレス興行で全国を巡業している。今の年収は約3000万円ぐらいだとか。
(後略)テレビドガッチより引用
ということでした。
こちらは2016年の記事ですが、
2年前の主な収入源も『プロレスの試合』だったことがわかりますね。
とすると…7度目の引退は2017年10月31日なので、
約1年で復活ということですが、
『収入が途絶えそうになっている』可能性がありますよね。
ノーギャラって言ってるので、
ボランティアだとは思いますが・・・
以上です。
現在もプロレスラーとしても活動を引退をはさみながらしているんですね、いつまで現役したり引退したりを繰り返すのでしょうね?
大仁田厚の電流爆破マッチとは?
電流爆破デスマッチ [編集] 大仁田厚がFMWで開発したスタイルの試合で、有刺鉄線に電流を流し、なおかつ小型爆弾を設置する(電流はダメージを与えることが目的ではなく、接触を検知し小型爆弾を爆発させるためのもの)。視覚面と音響面でインパクトが強いため、1990年代には盛んに行われた。初めての試合は大仁田とターザン後藤が汐留で対戦したノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ。
爆弾とか電流とか安全面はとても大切ですね、怪我するのももちろんですが、死なないようにプロレスして欲しいもんですね。
その後、大仁田とミスター・ポーゴが対戦した有刺鉄線バリケードマット地雷爆破デスマッチ(リングサイドに有刺鉄線を絡みつかせた板を敷き詰め、その上に振動で爆発する大型の爆弾を設置)や、有刺鉄線電流地雷監獄リング時限爆弾デスマッチ(金網に加え、2面には有刺鉄線電流爆破、もう2面には地雷を設置した有刺鉄線ボードを設置し、試合開始から15分経つとリングサイドの時限爆弾が爆発する)、大仁田とテリー・ファンクが対戦したノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型時限爆弾デスマッチ(決まった時間に爆発する超大型爆弾をリングサイドに設置)、代々木プールで行われた水中機雷爆破デスマッチ(プール中央にリングを設置し、選手が水に落ちると水中に仕掛けられた爆弾が爆発)もこの類。尚「選手が有刺鉄線に近づいたら遠隔操作でその面の起爆装置を入れて爆発させる」と誤解している向きもあるが、実際は逆に「選手が有刺鉄線に近づいたら遠隔操作でその面の安全装置を外して爆発させる」である(そうしないと有刺鉄線に一度触れただけで全ての面の爆薬が誘爆で爆発してしまうため)。
有刺鉄線にしても怪我とか流血が絶対していまうんで、ほんとに、気をつけてくださいね。
消防法の規定により屋内で使用できる火薬に制限があるため、通常は屋外で行われるが、火薬の量を減らした上で屋内で行われる場合もある。視覚面のインパクトは弱まるが、反響により音響面のインパクトはより増す場合がある(会場による)。
IWA・JAPAN、新日本プロレス、SPWFなどの団体でも開催されている(一時期、大仁田が電流爆破デスマッチのリングを含む装備に関して、特許を申請して認められたため、大仁田の許可無しでは行えないといわれたが、実際には認められていなかったので、大仁田が関係しない団体でも行うことができた)。
まあいわずとしれたプロレスのデスマッチですが、命に別状なければいいんですがね。
大仁田厚は引退したの?
1度目の復帰 1988年(昭63)に、コーチとして入団したジャパン女子のリングで、同じくコーチのグラン浜田との因縁が生まれ、12月3日に現役復帰し、対戦したが敗れる。89年に空手道場「誠心会館」を率いる青柳館長と東京・後楽園ホールで開催された「格闘技の祭典」異種格闘技戦で対戦し、同10月6日にFMWを旗揚げ。
◆2度目の引退 1995年(平7)5月5日に、川崎球場で愛弟子の故ハヤブサさん(享年47)と引退試合を行い、18分11秒、サンダーファイヤー・パワーボム3連発で仕留めて引退。
◆2度目の復帰 1996年(平8)12月11日に、宿敵だった故ミスター・ポーゴさん(享年66)から引退試合でのタッグ結成を請われ、一夜限りに復帰し、テリー・ファンク組との8人タッグに出場。田中将斗がヘッドハンターAをフォールし勝利すると、その後も戦いを継続。97年にはFMWの会長を辞し新団体ZEN、チームUSOを結成し同11月に新日本プロレスに殴り込んだ。さらに01年7月の参院選に、自民党の公認を受けて比例区で出馬し当選。
このときに国会議員になっているんですね、プロレスで培ったカリスマ性がこんなところに生きているんですね。
◆3度目の引退 2003年(平15)1月7日に会見を開き3度目の引退を表明。5月~7月上旬の間でアフガニスタンでの10万人興行の開催を調整しているとしたが、実現しないままに終わった。そして2005年(平17)3月26日に明大政経学部2部の卒業式に詰め襟の学生服で出席後、夜に後楽園ホールで“卒業試合”と題した引退興行を行い、雷神矢口と組んで越中詩郎、天竜源一郎組と対戦。最後は天龍の片エビ固めで敗れ引退。
スポンサードリンク◆3度目の復帰と4度目の引退 2006年(平18)4月1日に東京・靖国神社で行われた、ゼロワンMAX奉納大会に「国を守った人に礼を尽くすのは当然のこと」と参戦を直訴し、1日限りの復帰。田中将斗、ランジェリー武藤と組みケルベロス、ヤセ矢口、イチローキング矢口組と対戦し、ケルベロスを9分5秒エビ固めで下した。
◆4度目の復帰 2007年(平19)年1月12日に参院議員宿舎で会見し、現役復帰を表明。同2月11日に東京・新宿で行われた二瓶組復活興行に参戦。同6月に参院選出馬辞退と政界引退を表明後、同7月には北海道夕張市でチャリティープロレスを開催。翌08年2月5日にも都内で会見を開き、00年に有刺鉄線電流爆破マッチに引きずり込み、敗れた長州力とタッグを組んで復帰する考えを明かし、同5月18日に新日本・長州力(56)プロデュース「LOCK UP」新木場大会で越中詩郎と組み折原昌夫と金村キンタロー組と対戦。現役最高時127キロの体重を77キロに絞り、凶器を使った流血戦を展開も、最後は毒霧により反則負け。
◆5度目の引退 2009年(平21)12月1日に長崎県知事選への出馬を表明し、同28日に都内で5度目の引退会見を開き、選挙戦に集中するためリングを離れると明言。
またもや政治に興味をしめしたんですね、今回は、カリスマ性が発揮できなかったかもしれませんが、政治には興味がおありなんですね。
◆5度目の復帰は6度目の引退試合
2010年(平22)2月21日投開票の知事選では3位の9万8200票で落選。その後、同5月5日に引退会見を行った新木場1st RINGの新FMWの大会で引退試合を行い、ターザン後藤と組んで元祖ザ・グレートパンク、初代ザ・シューター組に勝利。
◆6度目の復帰 聴覚障害者プロレス団体・闘聾門JAPANの10年11月13日東京・江戸川区小松川さくらホール大会で復帰。マグナムTAKASAGOと、戸井克成とと組んで矢口壹琅、ファントム船越、JOM太郎と対戦し勝利。
◆7度目の引退 2017年(平29)10月31日に東京・後楽園ホールでの大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会で引退。
大仁田厚さんご本人も『批判はあるでしょうが・・・』と自分で言っておりますが、
巻き起こる批判の内容はどんなものなのでしょうか?よく対人ゲームで 少しでも面白くない事があったりして 引退しますって高らかに言っておきながら 数日後しれっと復帰してる人がいるが悪びれる必要はない
大仁田厚氏 7度目の現役復帰
自称元プロレスラーの大仁田厚氏が7度目の現役復帰というニュースにもビックリしたが、以前とは別人のような可愛いお目々になっていてもっとビックリしたやんか!
整形してることに対するいやみなのでしょうかね?
そして、復帰に喜ぶ声もありました。
ネットでは他にも
『山崎邦正というあだ名が付く』など様々な批判があるものの、
『大仁田厚だから仕方ないかぁ・・・』という謎のムードになっています。
しかし、
これだけ批判を寄せられること自体も、
裏を返せばすごいことなんだと思います。
批判してるんではなくてもはやすごいってことなんだと思いますね。
しつこいあきらめない精神が大仁田には根付いているんですね。
大仁田厚の嫁は?
プロレスラーで参院議員の大仁田厚(48)が離婚していたことが28日、分かった。大仁田は数年前から前夫人(47)と別居状態が続き、「すでに夫婦生活は破綻している」として離婚を求める訴訟を起こし、前夫人と争っていたが、今月4日に和解。離婚が成立した。
関係者によると、前夫人は住宅ローンの支払いや長男(20)の米国留学費用の捻出などで経済的に苦しい状況が続いていた。双方の代理人が協議した結果、大仁田が財産分与と慰謝料を合わせた計1億円を支払うことで合意したという。
1986年に長男をもうけたみたいですね。2006年に離婚をしているみたいですね。一般の女性と結婚していたようですね。
離婚の理由は、息子の留学資金や住宅ローンなどの資金繰りが厳しかったことや、奥さんへのDVなどが原因として挙げられていますね。
また、冨田リカとの不倫疑惑などもあって、離婚が決定的になったみたいですね。
大仁田厚の病気とは?
脳梗塞をわずらっているらしいですね、しかも隠れ脳梗塞ということですね。
ヘビースモーカーの大仁田は、たばこを60本以上吸うこともあるほどだそうですね。健康には気を付けて欲しいですね。何回も引退を繰り返すのはいいですが、健康状態がよくないと復帰できませんのでね。
大仁田厚は死亡の噂?
電流爆破のデスマッチとか、脳梗塞であるとか言う話が出てきていますので、いつ死んでもおかしくないという意味ではないかと思いますね。
いつも死の淵にいるので、いつ死んでもおかしくないやつとか思われているからこそこういう噂が出てくるんでしょうね。