今回は、総合格闘技で有名なプロレスラーの桜庭和志選手について書いてみたいと思います。桜庭選手といえば、数々の名勝負を繰り広げてきましたが、戦績はどうだったんでしょうか?また、嫁や子供はいるのでしょうか?現在は、パンチドランカーになってるって本当なんですかね?それでは、彼の素顔の迫って行きたいと思いますね。
桜庭 和志
Kazushi Sakuraba
国籍 日本 生年月日 1969年7月14日 身長/体重 180cm / 85kg 所属 フリー バックボーン レスリング 主なタイトル UFC-Jヘビー級トーナメント 優勝(1997)
決して体格に恵まれているわけでないのに、頭を使った攻防で強かった桜庭選手です
目次
桜庭和志の現在は、パンチドランカー?
現在はパンチドランカー?
これは青木真也戦、以前から噂はありました。
しかし医師からそのような診断があった場合、通常、参戦できません。
また本人が引退しないと言っている以上
ガセネタと判断して良いでしょう!
現役が長いのでパンチドランカーになってないという可能性はなくもないですが
たぶんガセネタでしょうね。
桜庭和志 quintetとは?
世界8カ国、最強の寝技師たちがドリームチームを結成して闘う究極のグラップリングインベント「QUINTET.1」が開催された。グラップリングによる団体戦トーナメントという、世界初の試みだ。今回は各試合を駆け足でリポートしつつ、同時にイベントをプロデュースする桜庭和志が思い浮かべる理想像に迫ってみたい。
4月11日、両国国技館で桜庭和志プロデュースの格闘技イベント「QUINTET.1」が開催された。今回、行われるのはグラップリングのみで雌雄を決する、4チームによる勝ち抜き戦ワンデイトーナメントだ。
試合場は、金網やロープ、コーナーポストなど周りを囲う“壁”がないマット。
以前、SPICEのインタビューにて桜庭は“壁”のある試合への嫌悪感を示していたが、そんな彼の理想が具現化された闘いの場と言えるだろう。
試合開始前、会場内には出場選手や識者によるコメントが流されている。
「新日本プロレスでは3vs3とか4vs4のタッグマッチが多かったんですよ。大人数でやっても面白いなと思って、思い付きました」(桜庭)
「史上初と言ってもいい試みだと思います。グラップリングによる団体戦という意味で世界の注目を浴びるんじゃないかなと思います。取ったら次の相手が襲いかかってくるという」(中井祐樹)
「団体戦の対戦カードによっては、本来は体重が合わなくてできないカードができるという面白さがあると思います。小さい選手が一回り大きい選手に勝つこともあるし、頑張って引き分けてチームの勝利に近付くこともあるかもしれないですから」(宇野薫)
「1試合で選手が何人倒せるのか。チーム全体を考えて、どこで引き分けに持ち込んで、相手のダメージを強く求めていくのか。そういう意味でも団体戦ならではの楽しみがあると思いますし、チームワークも求められますしね」(馳浩)
「第1回アルティメット大会、今のUFCですね。あの時の異様な熱気、ホイス・グレイシーでありグレイシー一族にあらゆる格闘技が返り討ちに遭っていた。そこに土をつけたのが桜庭さんだったんですね。そこにもう1回返ってくるワクワクするような醍醐味を味わえる興行だと思ってます」(増田俊也)
マット上では、審判部長を務める中井祐樹から試合形式の説明があった。
試合は、基本的に8分1本勝負。体重差20kg以上ある場合は4分1本勝負。
1チーム5人による勝ち抜き戦なので、先鋒が相手の大将まで5人抜きという可能性もある。
判定はなし。1本決着のみ次へ進める勝ち抜き戦になる。
ヒールホールドやスラム(寝てる人間を持ち上げて頭から叩きつける行為)など、一発で失格となる禁止技も設けられている。
「UWFのテーマ」に乗って柔道スペシャリストとの対戦に臨む桜庭和志
1回戦のファーストマッチは、桜庭率いる「HALEO DREAM TEAM」と石井慧率いる「JUDO DREAM TEAM」という組み合わせだ。TEAM HALEOの入場では、桜庭のテーマ曲「SPEED TK Remix」が流れたかと思いきや、途中から曲が「U.W.F.プロレス・メインテーマ」にチェンジ! 桜庭へインタビューした際、メンバーの人選に関して「UWFの色を出そうと意識した」と語っていたことを思い出した。桜庭はサクマシンのマスクを被っての入場だ。
ゴング前、会場内には両チームの選手コメントが紹介された。
「JUDOチームの地力を見せつけられたらと思います。揉まれてきてるんで、簡単に取られることはないと思います」(石井)
「柔道選手って投げに入る瞬間瞬間が強いじゃないですか。そういうのも恐いなっていうのはありますね」(桜庭)
「TEAM HALEOは何よりもカリスマ性を持たなければならない立場です。グラップリングの大会ってつまらない時があるからね。今まではそこに僕と桜庭がいなかったんだから仕方ないよね」(ジョシュ・バーネット)
「ただ勝つだけだったら僕じゃないほうがいいと思うんですけど、なんで僕を選んでくださったのかということをしっかり考えて、試合でそれを体現して期待に応えられるようにしたいですね」(所英男)
1試合目は中村大介(HALEO)vs小見川道大(JUDO)という、先鋒同士の一戦。プロレスリングvs柔道だ。
序盤、いきなり払い腰で豪快に中村を投げる小見川。
しかし、中盤からは中村が上になってパスガードを狙う展開が続く。
カウンターで対処していく小見川は、いつしか中村のバックを取ってスリーパーを狙う。
終盤には下から小見川が肩固めを狙ったり、逆に上から中村が肩固めを狙ったり、一進一退の攻防。最後は中村が得意の腕十字を狙い、小見川は必死の防御。遂には腕が完全に伸びたが、その瞬間に時間切れのゴング。引き分けで、両者ともに脱落となる。
お互いに攻め気があるので、観ている側も時間が過ぎるのはあっという間だ。
次鋒戦は、桜庭和志(HALEO)vs出花崇太郎(JUDO)。大会プロデューサーである桜庭が、いきなり登場。桜庭48歳vs出花33歳の対決だ。
QUINTET
両者ともに動きはいいが、開始1分足らずで出花が下から腕十字で桜庭の腕を極めにかかる。一瞬ヒヤッとしたが、これは桜庭が取らせない。
その後は、細かく動きながら狙いに行く出花と、上のポジションをキープしながら狙いに行く桜庭という攻防が続く。
流れの中、出花がまたしても腕十字を取りかけるが、体重で勝る桜庭は余裕で対処。一方、体重の軽い出花は側転パスガードを見せたりもする。往年の桜庭の動き! 最後は桜庭のガードポジションを目にも留まらぬ動きでパスした出花が上になったまま時間切れのゴング。
ノンストップの消耗戦だった。
中堅戦は所英男(HALEO)vsキム・ヒョンジュ(JUDO)。
これが凄い。相手の腕を取りながら自らゴロンとスライディングして下になった所がそのまま腕十字を極め、試合開始14秒で一本勝ち! 飛び込んで足をとる「イマナリ・ロール」の動きの中、流れで腕を取った……ということか。「なんで僕を選んでくれたのか考え、試合でそれを体現する」の言葉通りだ。
続いては、勝ち抜いた所vsユン・ドンシク(JUDO)の一戦。
体格差を活かしてユンがドンドン前に出て行き、自分の腕を所の喉元に入れてのエゼキエルチョーク(袖車絞め)で連戦の所から一本。46秒でユンが勝ち抜いた。
TEAM HALEOは、所に続いてマルコス・ソウザが宙返りしながら登場、ユンと対決だ。
柔道流の足払いを仕掛けるユンの足を取って回転しながらグラウンドに入ったマルコスは、そのままバックチョーク、腕十字を狙い続ける。攻め気が凄い!
最後は腕十字で、マルコスの一本勝ちだ。
JUDO DREAM TEAMは、いよいよ大将の石井慧が登場!
消耗したマルコスに大外刈を仕掛け、グランドでも力づくで相手をコントロールするなどガンガン行った石井。
マルコスも果敢にタックルへ行くのだが、石井はガブッて対処。寝技の強さを見せたが、時間切れで両者引き分け。TEAM HALEOが大将のジョシュを残したまま決勝へ進出した。
試合後の会見で、石井は不完全燃焼を口にしている。
「次はジョシュ・バーネット選手とやりたいです。あと、4分は短いですね。他のグラップリングの試合、例えばメタモリスだとかは20分とかかかるし、グラップリングは長いですから。ちょっと長くしてもらいたいです」(石井)
寝技とうかレスリングの大会をプロデュースしてるんですね、寝技自慢の桜庭選手らしいですね。
桜庭和志 の嫁は?
嫁は?
これがですね・・・
中々情報が薄くて
分かってるのが
○結婚はしてる。
○綺麗な奥さん
○学生時代からのおつき合い
○一般の方
○人気が出てた時インタビュー受けた
事があったが、対応に大変だったから
一切出なくなった。子供は?
桜庭和志さんの子供は
男の子3人らしいです。こちらも名前は分かりません。
年齢は?って調べたら以前『Number Web』のインタビュー
で、10年前に桜庭和志さんを振り返ってた
場面があって『うちの長男も10歳なんですよね』
と発言してました。
当時のインタビューは2009年だったので
それから8年経ってますので長男は現在18歳ですね。
高校卒業されたか、するかの
大きなお子さんがいらっしゃるん
ですね。でもお父さんが現役の格闘家って
かっこいいですね。男の子3人は反抗期とかお父さんに
刃向かった事あったんですかね?どんなお父さんなのか気になります。
桜庭和志 のマスクとは?
00年代を席巻した総合格闘技イベント「PRIDE」のエースで、IQレスラーこと桜庭和志(47)が6日(日本時間7日)、米ラスベガスで開催された米総合格闘技のUFC殿堂入り式典に出席した。
6月3日にパイオニア部門で受賞が発表済みで、UFC殿堂入りは日本人で初となる。サクラバマスクを装着し、黒のはかま姿の桜庭はPRIDEのオープニングテーマ曲で入場。マスクを脱いだ後、壇上であいさつ。「このような立派な賞をいただき、とても感激しております」と感謝の言葉を口にした。
ラスベガスに足を踏み入れるのは初めてという桜庭は「数年前に忘年会のビンゴ大会で当てた2等賞。賞品は東京ディズニーシーへのペア招待券でした。今回の受賞はそれに続く快挙。賞の重みが格段に違います」とジョーク交じりに喜びを語った。
またプレゼンターは同じくPRIDEで活躍したドン・フライが務めた。そのフライとPRIDEで殴り合いの試合を展開したプロレスラーの高山善広が試合での故障のために入院中であることに触れ「高山さんはボクと若手時代をともに過ごし、プロレスラーとは何かをもっとも近くで教えてくれた先輩。どうか高山さんの回復を祈ってください」と最後に呼びかけていた。
入場時の桜庭のマスクをつけての入場は定番になりましたね。
桜庭和志の試合の戦績
2000年代の日本における格闘技ブームを最も支えた選手を一人挙げるとするなら、桜庭和志、この人しかいないでしょう。本日、同じく日本の格闘技界を牽引し続ける青木真也選手との対戦で久々の総合格闘技の試合に臨むことになっています。ここで、格闘技をあまり知らない、または桜庭選手を知らないという人もいるでしょうから、桜庭選手のこれまでの戦績をチェックしてみたいと思います。
桜庭選手のバックボーンはレスリング。高校時代はレスリング名門の秋田市立秋田商業高校で活躍し、中央大学に進学、レスリング部の主将を務めていたようです。
UWFインターナショナルからキングダム
1992年にUWFインターナショナルに入団。翌年にデビューとのこと。この辺りで新日本との対抗戦を行ったのかな。確かそんな感じ。
その後、Uインター所属選手が参加した新団体キングダムに、桜庭選手も参加したとのこと。
ここらの事情はあまり詳しくありません。PRIDE
ここらから桜庭選手が一気に注目を浴びたというか、まさに日本の格闘技の象徴となった時代だと思います。
戦績
○ 1998.3.15 ヴァーノン・“タイガー”・ホワイト 3R腕ひしぎ十字固め
○ 1998.6.24 カーロス・ニュートン 2R膝十字固め
△ 1998.10.11 アラン・ゴエス 10分3R時間切れ
○ 1999.4.29 ビクトー・ベウフォート 10分2R判定4-0
○ 1999.7.4 エベンゼール・フォンテス・ブラガ 1R腕ひしぎ十字固め
○ 1999.9.12 アンソニー・マシアス 2R腕ひしぎ十字架ため
○ 1999.11.21 ホイラー・グレイシー 2Rチキンウィングアームロック
○ 2000.1.30 ガイ・メッツァー 1R終了TKO
○ 2000.5.1 ホイス・グレイシー 6R終了TKO
× 2000.5.1 イゴール・ボブチャンチン 1R終了時TKO
○ 2000.8.27 ヘンゾ・グレイシー 2Rチキンウィングアームロック
○ 2000.10.31 シャノン・ザ・キャノン・リッチ 1Rアキレス腱固め
○ 2000.12.23 ハイアン・グレイシー 1R終了 判定3-0
× 2001.3.25 ヴァンダレイ・シウバ 1RTKO
○ 2001.7.29 クイントン・ランペイジ・ジャクソン 1Rスリーパーホールド
× 2001.11.3 ヴァンダレイ・シウバ 1R終了時TKO
× 2002.8.28 ミルコ・クロコップ 2R終了時TKO
○ 2002.11.24 ジル・アーセン 3R腕ひしぎ十字固め
× 2003.3.16 ニーノ・エルビス・シェンブリ 1RTKO
× 2003.8.10 ヴァンダレイ・シウバ 1RKO
○ 2003.11.9 ケビン・ランデルマン 3R腕ひしぎ十字固め
× 2003.12.31 アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ 3R判定0-3
○ 2004.6.20 ニーノ・エルビス・シェンブリ 3R判定3-0
○ 2005.4.23 ユン・ドンシク 1RTKO
× 2005.6.26 ヒカルド・アローナ 2R終了時TKO
○ 2005.10.23 ケン・シャムロック 1RTKO
○ 2005.12.31 美濃輪育久 1Rチキンウィングアームロック
ざっと見ると、中量級の桜庭選手はほんと無差別で戦ってきたのが良く分かります。そして、その極めの強さ。確かに見ていて、常にわくわくする試合をしていてくれたもんな。
ただ、試合間隔の短さは、ダメージの蓄積につながっただろうし、ヴァンダレイとの対戦も、もっと間隔を空けていればと思ったりしてしまいますね。スポンサードリンク
HERO’S
突然のPRIDEからHERO’Sへの参戦。PRIDEの顔って言うと桜庭選手だっただけに、この発表はかなりの衝撃を受けたのを覚えています。
○ 2006.8.5 ケスタティス・スミルノヴァス 1R腕ひしぎ十字固め
ー 2006.12.31 秋山成勲 ノーコンテスト
○ 2007.3.12 ユーリー・PLAYBOY・キセリオ 1R腕ひしぎ十字固め
× 2007.6.3 ホイス・グレイシー 3R終了判定0-3
○ 2007.9.17 柴田勝頼 1R腕ひしぎ十字固め
○ 2007.12.31 船木誠勝 1Rチキンウィングアームロック
DREAM
○ 2008.4.29 アンドリュース・ナカハラ 1Rフェイスロック
× 2008.6.15 メルヴィン・マヌーフ 1RTKO
× 2008.12.31 田村潔司 2R終了判定0-3
○ 2009.10.6 ルビン・Mr.ハリウッド・ウィリアムズ 1Rアームロック
○ 2009.10.25 ゼルグ・弁慶・ガレシック 1R膝十字固め
× 2010.5.29 ハレック・グレイシー 3R終了判定0-3
× 2010.9.25 ジェイソン・メイヘム・ミラー 1R肩固め
× 2010.12.31 マリウス・ザロムスキー 1RTKO
× 2011.9.24 ヤン・カブラル 2R肩固め
やはり、後半はそれまでのダメージの蓄積が明らかに出てきたようですね。それでも戦い続けてた姿に勇気を貰ったものです。
そして、この後、柴田勝頼選手と共に新日本プロレスに参戦。
今日、久々の総合格闘技に復帰となりました。
さて、その結果はどうなったのでしょうか・・・
やはり、桜庭選手は勝ち越してるんですね、伝説の格闘家といわれる所以お分かりいただけるのではないでしょうか?
桜庭和志の ufcでは?
UFCは現地時間3日(土)、総合格闘家の桜庭和志がパイオニア部門にてUFC殿堂入りしたことを発表した。
2017年UFC殿堂入りの式典は現地時間7月6日(木)19時からアメリカ・ネバダ州ラスベガスにあるパーク・シアターにて開催され、式典の模様はUFCファイトパスにて独占ライブ配信されることになっている。
この殿堂入りを受けて桜庭は「最初に殿堂入りのニュースを聞いた時は驚きました。20年前にオクタゴンで戦った時は自分が他の伝説的な総合格闘家と肩を並べ、UFCの殿堂入りをするとは夢にも思っていませんでした。自分は最高の格闘家を目指すだけでなく、総合格闘技が持つ興奮、そして素晴らしさを世界に伝えたいと思い、ここまで戦ってきました。スポーツとしての総合格闘技の歴史において、自分が何かしら影響を与えることができたのであれば、それは決して自分だけの功績ではありません。尊敬すべき対戦相手、素晴らしいイベントを開催してくれるスタッフ、このスポーツを報道してくれるメディア、そして何よりもこのスポーツを熱くサポートしてくれる多くのファンが可能にしてくれたのだと思います。この殿堂入りはPRIDE時代から総合格闘技を新たなスポーツへと押し上げてくれた日本の総合格闘技関係者に捧げたいと思います」とコメント。UFCにおいて日本人として初めて勝利を挙げた桜庭はそれらの功績が称えられてパイオニア部門にてUFC殿堂入りを果たすことになった。パイオニア部門は総合格闘技として正式なルールが定められた日である2000年11月17日以前からプロとして活躍し、35歳以上で引退後1年以上の選手が選ばれている。
19年間のキャリアで46試合を戦い、通算26勝17敗1分2ノーコンテストの戦績を誇る桜庭は、その長いキャリアだけでなく、コンバットスポーツと呼ばれる歴史の中で総合格闘家として数多くの記憶に残る試合を戦ってきた。
桜庭にとって初めてかつ唯一のUFCでの対戦は1997年12月21日に横浜で開催されたUFC JAPAN: ULTIMATE JAPANだ。大会直前に負傷した別の選手の代役として出場し、元Extreme Fightingヘビー級王者マーカス・コナンと対戦、1試合目はノーコンテストになったものの、2戦目でUFCヘビー級トーナメントの勝利を収めた。
その後、桜庭はPRIDEに参戦すると、7年間でホイス・グレイシー、ケン・シャムロックら、すでにUFC殿堂入りを果たしている伝説の選手を打ち負かし、さらに元UFCウェルター級王者カルロス・ニュートン、元ヘビー級王者ケビン・ランデルマン、元UFCライトヘビー級王者ランペイジ・ジャクソン、元UFCライトヘビー級王者ビトー・ベウフォート、UFC 13のライト級トーナメント優勝者ガイ・メッツァーといった数々の強豪を倒してきた。加えて、PRIDE参戦中にはUFC殿堂メンバーで元PRIDEヘビー級王者のミノタウロ・ノゲイラに並んでPRIDE史上最高タイとなる11回のサブミッション勝ちを記録している。
また、桜庭はPRIDE以外にも活躍の場を広げ、キング・オブ・パンクラスを2度獲得している船木誠勝、元DREAMスーパーハルクトーナメント王者ミノワマンこと美濃輪育久、そしてキング・オブ・ケイジの元ライトヘビー級王者ヴァーノン・ホワイトらも打ち破ってきた。
桜庭はグレイシー一族との数々の戦いから”グレイシー・ハンター”の異名を持ち、ホイラー、ヘンゾ、ハイアン、ホイス・グレイシーらを次々に沈めてきた。その中でも2000年に行われたホイス・グレイシーとの90分間に渡る試合の勝利は、いまだに総合格闘技史上最高の対戦として多くのファンの記憶に残っている。
UFC会長のデイナ・ホワイトは桜庭の殿堂入りを受けて次のようにコメントした。
「桜庭は私のお気に入りファイターの一人だ。本来の階級をはるかに超えて戦ってきた。いまだかつて答えられていない疑問のひとつに、彼がもしキャリアを通して自分自身の階級で戦ってきたなら最強の名を手に入れられたのではないか、というのがある。彼は国宝級のファイターだが、本来の体格よりも50パウンド(約23㎏)大きい階級に押しとどめられてきたのだ」
歴史においては桜庭がパウンド・フォー・パウンドのランキングでどこまで上位に上り詰めたのか、誰にも分からないかもしれない。ただ、UFC殿堂のファイターリストにその名が刻まれることに異論を唱える者はいないは
アメリカでも活躍して認められるところなんかすごいですね。
桜庭和志 とヒクソングレイシー
この映像でヒクソン本人が述べているように
グレーシーにとっては桜庭は最悪の相手だったでしょう。
ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアンと4タテ喰らい。
特に、ホイラーで事実上完全勝利(ホイラー、ヒクソンの抗議は無茶ぶり)
そして総合格闘技を広めたホイスグレーシーにタオル投入完全勝利
グレーシー神話の崩壊は歴史的出来事でした。
その1ヵ月後にヒクソンは船木に勝ちました。桜庭は再三、ヒクソン本人を目の前にして対戦要求していましたが
ヒクソンは受けませんでした。
この時、私や友人達は「ヒクソンは桜庭から逃げている」が結論でした。
PRIDEを信用出来ない!と言っていたのは逃げ口実だと。
結果、船木と戦うようになったのか・・とか。船木に勝利した後、ヒクソンは次対戦するのは
小川か桜庭だろうな、と語った記事を覚えています。
PRIDEと完全契約だった桜庭より、猪木事務所であり
出来たばかりのコロシアム2000の方がヒクソンも良かったでしょうし
事実上、小川で話が進んでおりましたね。桜庭という選択枠がハズされておりました。
しかし、ヒクソンも40歳を超え、限界があり、敗戦の可能性も強い桜庭より
まだMMAの選手で強い相手と闘っていなかった小川の方が
勝利しやすい相手だったと思います。小川もMMAではイマイチでしたしね。ただ、ヒクソンの長男が事故死という悲劇が起き
ヒクソンは試合所では無くなりますよね。心が整理出きる迄には時間がかかり
大一番舞台ばかりだった日本で、とても試合が出来る状態ではないし
日が経つと同時にヒクソンもトシを取りました。桜庭も個人的にMMAは引き際を大切にして引退して欲しかったのですが・・・
(大苦戦勝利、格下勝利、外国人選手に相次ぎ敗退、ホイスにも再戦で引っ付かれ膠着敗戦)
現役バリバリTOPで身体も桜庭より小さい青木に何も出来ずひたすら殴られ
レフリーストップは悲しかった・・・。勝てるとは思っていませんでしたし
勝った青木が尊敬する桜庭をこれ以上殴りたくないのにストップが遅いと
レフリーに泣いて抗議していましたね。プロレスのリングではやはり、しょっぱく思えた桜庭。
中邑との試合は絶品だったのですがね、
純プロレスだと、やはりプロレスの奥深さには到底辿りつけず
今の特に新日本では居場所が厳しかったですね。
元々、純プロレスラー出身の鈴木みのるの方が、格闘技からプロレスに戻りやすく
実際に成功していますしね。鈴木との対戦も期待していた分、残念な内容に。と、この映像を知らなかったです。青木戦前でしょうかね?
ヒクソンと桜庭の対談?なんて昔では考えられませんでした。
お互いに年齢を重ねました・・・・。
リスペクトを怠らないヒクソンと違い、桜庭の反応はどうなんでしょ?
映像の中では「桜庭と闘わねば」と思っていたと語られておりましたが、
当時の本当の心境はどうだったのでしょうか?【超貴重映像】ヒクソン・桜庭の対談!!桜庭「ヤるのかヤらないのかハッキリしろっ」[HD]
“【超貴重映像】ヒクソン・桜庭の対談!!桜庭「ヤるのかヤらないのかハッキリしろっ」[HD]” を YouTube で見る
安生をはじめ道場破りはことごとく返り討ちにしてきたようですが
(安生との対戦は、試合での対戦直訴が、何故か道場での対戦にされたそうですね。しかも安生は二日酔い)
世界でもですが、特にヒクソンは事実上「天敵」状態でした。
高田の惨敗でプロレスは地に落ちたかも知れません。桜庭はヒクソンに最も勝利の近い男でした。
何だかんだ紆余曲折・・・・
何度もチャンスは有ったものの
最終的に縁の無かった二人だったのでしょうね。
(前田はもっと)
ヒクソンは自分が負ける相手とはやらないんですね、実際やってしまうと桜庭は勝っていたのかもしれませんね。
桜庭和志 の耳取れる
耳がとれるほどのダメージや攻防が試合にはあるということですね。
耳からの出血が見られ、タオル、テーピングで耳を応急処置した桜庭は「すいません。耳が取れちゃいました。少しだけしかやってないんですけど、ザロムスキー選手はすごくいい選手なので応援して上げてください。あと、少しだけしかやってないのですが、進化している感じがしました。また頑張ります。応援よろしくお願いします」とマイク。
その写真はちょっとグロいので、見ても大丈夫な人だけ続きで。
対戦相手もおっかなびっくりの表情にみえる。
ネットには動画も転がってますが、ヤバイって感覚がしたレフェリーが止め、桜庭自身も思わず手で耳を覆って(観客に見せないよう)コーナーへ。手のひらで包んでいた耳をそっとドクターに見せる。ドクターはストップを即決。
桜庭は病院に直行。特にアップになったシーンが会場ではなかったのでわからなかったが、こんな状態だとは思わなかった。
マイクで自身について「あと、少しだけしかやってないのですが、進化している感じがしました」とした桜庭。しっかり治して、試合でまた魅せてほしいです。
以下、カクトウログ管理人の現地撮影写真より。
耳がとれるのは恐いですね、総合っていうのは真剣勝負なので耳がとれるほど激しい試合であるのだなと思います。
桜庭和志 と秋山成勲の関係は?
桜庭と秋山の試合とは、秋山のローションを体に塗るという反則をした試合のことが」、取りざたされていますね。
秋山成勲のヌルヌルローション事件について
基本プロフィール
名前:秋山成勲(あきやま よしひろ)生年月日:1975年7月29日
身長:178cm
階級:ウェルター級~ライトヘビー級
国籍:韓国⇒日本
出身:大阪府
ニックネーム:「反骨の柔道王」(日本)、「セクシー山」(UFC)、「ヌル山」(主にネット)選手メモ
在日韓国人四世として生まれ、後に帰化し日本国籍を取得した。
帰化に関して「柔道のために日本国籍を取ったが私は永遠に韓国人」とも語っている。
柔道着には日の丸と韓国国旗の両方を掲げている。
柔道時代は全日本選抜などでの優勝経験こそあるものの、オリンピックの出場はしていない。
2004年大晦日に総合格闘家デビューを果たし、マイクパフォーマンスで「柔道最高!」と柔道家アピールもした。
バックボーンは柔道ではあるが、MMAでのファイトスタイルは打撃主体で、MMAデビュー数戦目ですでに柔道着も脱いでいた。
HERO’Sではライトヘビー級の王者にも輝く活躍をし日本の格闘団体の低迷後はUFCへと戦いの舞台を移したが、大きな結果を残すことはなかった。
歴史に残るヌルヌルローション事件
過去に名勝負を繰り広げてきた秋山だが、一番記憶に残っている試合は桜庭和志との一戦だろう。
秋山はレジェンド桜庭和志と2006年の大晦日に戦うことになった。
この試合は当時上り調子の新生の秋山と、レジェンド桜庭という分かりやすい世代交代をかけた一戦として注目されていた。
実力からしても戦前から秋山有利とされていたが、結果は秋山の反則によるノーコンテストとなった。
反則理由としては秋山が全身にローションのようなものを塗っており、身体を掴ませないように仕込んでいた。
試合中に何度も桜庭がレフリーに対して「滑るよ!掴めないよ!」と抗議するも、レフリーは無視して試合を止めることはなく、最終的には秋山がパウンドでKOにした。(後にノーコンテスト)この試合を見返すと、レフリーの試合中の対応というのも改めるべき点だと感じる。
秋山はローションの使用が反則になるとは知らなかったと話したが、桜庭は猛抗議し後日会見を開くことになった。
桜庭の抗議により開かれた会見で桜庭はこう語った。
桜庭「正直、もみ消そうと思えば消せたかもしれないが、総合格闘技の発展のためk-1がミスとしてはっきりと対応したことに感謝します。」
後に桜庭和志は、、、
『試合を公平な立場でやりたかった
組み技出身の選手がオイルとかローションを塗られてしまうと相手が掴めないのは当然ですし、レスリングでは身体に何か塗ってはいけないのは当たり前のこと。
これだと公平に試合ができない。何よりもお客さんを喜ばすことができない。』
とヌルヌル事件について話している。
秋山選手の卑怯なところがとりざたされています。それだけ当時の桜庭選手は強かったのかなと思います。
桜庭和志 tシャツ
このSAKUTシャツは、桜庭選手の定番でしたね、いかにもって感じのきこなしですね。
桜庭和志 高田延彦
高田延彦が愛弟子だった桜庭和志と再会した理由・事情
年末大晦日でプロレスから総合格闘技のリングで久々に戦うことになった桜庭和志は、日本の総合格闘技の火付け役。プライドでは数々の死闘を繰り広げて日本中を熱狂させてくれた。その桜庭はプロレス時代から高田の愛弟子で付き人時代もあった。
その後はプライドのリングで活動中の間に金銭面でなにか高田との間でトラブルがあったようだ。桜庭といえば本を出版するなど格闘技での収入にプラスしてテレビ出演なども当時は多数あったことで収入面ではかなりの額を稼いでいたことは傍目から見ても分かると思う。
それでも、桜庭の収入というのはあまり潤うこともなかったようだ。実際テレビ出演時でも、出版本の印税を聞かれていたが自分には入ってこないと発言していた。芸能人同様に全国的な格闘家らしからぬ収入事情は家庭を持つ身としては、それなりのストレスになっていたのではないか。
プライド崩壊後は、K-1主催の総合格闘技の舞台に主戦場を移すがおそらくその時点ですでに高田との関係は断ち切れていたのではないかと推測できる。金銭面での人間関係トラブルは信頼関係をその後修復するのはカンタンではない。
今回のライジンで高田と合間見えたシーンもあったが、どうのような形で関係修復をしたのか気になるところだ。ライジンの舞台で実質桜庭は最後の試合になるようだ。格闘技ブームを体感した視聴者からライジンの対戦カードはあまり注目できるカードもないのが現実かもしれない。
その中でも、青木と対戦する桜庭の試合はライジンのカードの中で見逃すと損な試合だと言える。地上波で放送されることで、桜庭の試合は多くの格闘技ファンに見られるカードになるだろう
Uインター時代から、師弟関係でしたね、この2人は方向性も一緒でしたし、本当に仲が良かったですね。よくプロレス団体は喧嘩して分裂しますが、この2人にはないと思いますね。結構年齢的にも本当の引退の近づく桜庭選手ですが、これからもガンバって欲しいですね。