【名前】:野口五郎
【読み方】:のぐち ごろう
【本名】:佐藤 靖
【出身】:岐阜県美濃市
【生年月日】:1956年2月23日
【星座】:うお座
【年齢】:61歳(2017年6月現在)
【血液型】:A型
【デビュー】:1971年
今も若い状態を保ったまんまの野口五郎は、健在ですね。
目次
野口五郎の私鉄沿線
- 作詞を担当した山上路夫が、若い頃によく乗った郊外に向かう私鉄の沿線をイメージして作詞した曲である。したがって、野口の故郷を走る名鉄美濃町線とは関係ない。当初は、歌謡曲らしくないタイトルだ、という反対の声もあったが、発売後、野口はNHKのニュースで「私鉄沿線では…」と話すアナウンサーの声を聞き、曲が人々の生活に浸透したことを実感したという。
- 作曲の担当は、1974年の「愛ふたたび」に引き続き、野口五郎の実兄・佐藤寛である。佐藤は、野口が前年に発表した「甘い生活」がオリコンチャート1位になったことがプレッシャーとなり、本曲発表後、十二指腸潰瘍で入院した[2]。
- 第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第8回日本有線大賞・グランプリを受賞した。
- 野口は『第26回NHK紅白歌合戦』(4度目)に出場し、前年に続いて新御三家がそろい踏みとなった。
- 累計売上は120万枚とミリオンセラーを記録した。
- 発売から40年以上経った現在でも、野口の代表曲の一つとされ、現在も懐メロの歌謡番組などで同曲を披露することが多い。
- 日本テレビ系列のバラエティー番組『秘密のケンミンSHOW』のコーナー「辞令は突然に…」(岐阜県・前編)の本編開始時の冒頭BGMでこの曲が使用された。
野口五郎の代表曲ですね、数々の賞を受賞してヒットさせたようですね。
野口五郎 長男顔写真は?
なぜ長男・侑都君はイケメンと言われるのか?
調べてみると野口五郎さんが2017年4月22日に放送された「メレンゲの気持ち」で長男・侑都君の話をしたことがあったようです。
それによると、侑都君はよく芸能事務所のスカウトマンから声を掛けられると言い、スカウトマンの名刺をいつも2~3枚は、持っているということのようです。
それに、スカウトマンも野口五郎の子供とは気づいていないと言うようなことを言っていました。
スカウトマンも、野口五郎のこどもとは気づいていないでしょうね。そこまでは、はっきりとわかるわけはないでしょうしね。
このことから考えると何度もスカウトマンから声を掛けられるということは、イケメンに違いないと視聴者が思ったようです。
多分、このことから考えると長男の侑都君は本当にイケメンかもしれませんね。
残念なことに長男の侑都君の画像は公開されていないと先ほど言いましたが、野口五郎さんは本当に自分が子供の頃にそっくりだと言っています。
おそらく自分のこどものころににているんでしょうね、実際の下の写真は野口五郎の若いころの写真ですけどおそらくこの写真にそっくりなんではないかと思われますね。
こちらの画像は、野口五郎さんの小さい頃の画像です。
たぶん、年齢的には長男の侑都君も幼い時の写真のようですが、雰囲気的にはこのような感じではないでしょうか?
それに侑都君がスカウトに合う時三井ゆりさんも後ろにいることもあると言いますが、三井ゆりさんにも気が付かないと言っていました。
この時は、長女の話は話題に上がらなかったのですが、やはち長女の文音さんも可愛いに違いありません。
野口五郎の若いころを考えると美少年でまちがいみたいですね。
野口五郎と西城秀樹、郷ひろみ
野口五郎、西条秀樹、郷ひろみ、デビュー45周年の「還暦鼎談」で語られたこと
野口五郎、郷ひろみ、西条秀樹の新御三家。ともにデビュー45周年を迎えた3人集まっての、還暦鼎談という特集が、2月25日「月刊明星」(今はMyojoでしたね)ではなく、ドメスティックなおやじ向け週刊誌「新潮」に掲載されたのは、まさに隔世の感でした。この鼎談をあらためて読んでみると、郷ひろみは、いまだに自分がアイドル、スターであることを大きくアピールしているのに対して、野口五郎は、アイドル時代から自分を客観視するような、大人びたところがあったようです。
歌番組が週に50本もあり、まさに寝る間もなくお互いがアイドルしていた時代に、言い知れぬ孤独感を感じていたという野口五郎。しかし郷ひろみと西城秀樹は、野口五郎のその思いには、あまりピンときていないようでした。また野口五郎は、デビュー翌年のインタビューで、5年後にはどうしているかと問われたとき、「青山で喫茶店を開いて、歌うスペースを作って、そこで歌っている」と、冷静に答えていたとも語っています。
続く鼎談の後半では、郷ひろみが思わぬことを告白。実は、郷ひろみは、野口五郎や西条秀樹に対してコンプレックスがあったからこそ、ここまでやってこられたのだと語りました。確かに郷ひろみは、野口五郎と西条秀樹に比べると、全くの素人がアイドルになってしまったのかもしれません。野口五郎は、もしかしたら、70年代のアイドルに生まれていなかったとしても、地味ながら、それなりに歌手として成功していたような気もします。それにしても、新御三家もデビュー45周年。ほんとうに、昭和は遠くなりにけりです。
新御三家として人気だったんですね、その中でも野口五郎は歌手として人気だったんですね。
野口五郎の身長
野口五郎(のぐちごろう)の身長は、
174センチです。が身長をサバ読みしている可能性があるようですね、シークレットブーツを常にはいてるので実際の身長が何センチなのかまではわかりませんね。
野口五郎のドッキリでお蔵入り
野口五郎はオナニー見られた芸能人としては一番有名?
のようです。
別 番組のロケと言う仕掛けで旅館の部屋に入 れられた五郎さん。ちょっとここで待機していて下さいと言われスタッフが出て行った矢先!旅館のテレビにお金を入れてアダルト放送を見ながらオナニーを始 めてしまった。もちろんドッキリの仕掛けなので部屋には隠しカメラがあり、その一部始終を撮影してしまったそうです。アダルト放送は仕掛けでもなんでもな くエロアクティブな五郎さんが勝手にやってしまったと言うもの。もちろんお蔵入り。
後に北野誠がテレビ番組で暴露してしまい、放送では名前にピー音が入ったがスタジオ内の人はみんな聞いてしまったわけで、それがクチコミで流出してしまったようです。
野口五郎のドッキリでの昔のハプニングですね、ただ放送はされなかったみたいですけどそれなりには人気のあった番組なので放送は絶対に無理でしょうね。
野口五郎の嫁は
【名前】:三井ゆり
【読み方】:みつい ゆり
【本名】:佐藤順子(さとう じゅんこ)
【出身】:千葉県柏市
【生年月日】:1968年8月25日
【星座】:おとめ座
【年齢】:48歳(2017年6月現在)
【身長】:163cm
【体重】:非公表
【スリーサイズ】:B82-W58-H85cm
【カップサイズ】:Cカップ(推定)
【血液型】:A型
【デビュー】:1990年
【学歴】柏市立柏第四中学校千葉県立野田北高等学校
昔は美少女として人気を博した三井ゆりですね、タレントや司会として数々に人気番組に出ていましたね。
その後テレビ番組のダイエット企画に参加した三井ゆりは、現役グラビアアイドルもびっくりのスリムボディを披露し話題になったのである。
これは驚きの変貌である。現役時代よりも更にきれいになったと話題になったのである。
母として女房として生きてきたが、やはり元グラビアクイーンとしてのプライドがこうさせたのかもしれない。
すごいですね、年をとっても昔のダイエットしたころを思い出してすぐに体形をもどしたりとかは簡単にできるのかもしれませんね。そんなに簡単なことではないのにも関わらずにですね。
野口五郎の今とコンサートのもちかえり
野口五郎さんは、デビュー当時は給料制で月給2万7000円でしたが「青いリンゴ」ヒット後に月給が5万円に。
その後20歳の時に世田谷に100坪・3億円の豪邸を建てていて、当時の推定年収は1億円。当時の物価は現在のおよそ6分の1なので価値は6倍・・・・!!!!
野口五郎さんは、芸能活動とは別に銀座の一等地に美容室をオープンさせ、大繁盛していたようです。
しかし、共同でやっていた友人に二重帳簿をつけられていたため7000万円の損失を被ることに。その友人を心から信頼して資金を委ねていたので、どうすることもできなかったそうです。
そんな野口五郎さんですが、現在は自身が展開しているビジネスが「テイクアウトライブカード」というもののようで、コンセプトは「コンサートの持ち帰り。」
いわゆる今はやりの動画配信サービスですが、人気アーティストの全国ツアーなどを360度映像で観れるなど、生のライブ感が味わえるのがポイント。
1本1500円で販売されているんですね
歌手やタレントとしての活躍もしている野口五郎ですが、ビジネスのアイデアもすばらしいですね、きっと芸能人としても一流ですが、それ以上にビジネスマンとしても一流の人間なんじゃないですかね。
野口五郎ドリカムのライブも
QRコードをスマホで読み取ると、コンサートなどのライブ映像をイベント終了後に視聴できる「テイクアウトライブカード」をご存じか。「DREAMS COME TRUE」の全国ツアーでは今回から発売され、好調な売れ行きをみせているという。そして、その仕掛け人が野口五郎(61)だというから驚きだ。
ドリカムのライブでは今回のツアーから、カードを1500円(税込み)で発売している。カードに刷られたQRコードをスマホで読み取ると、ステージ映像や開演直前の様子を見ることができ、ライブの余韻を終了直後から、すぐに楽しめるというシロモノだ。
15日の「女性自身」(ウェブ版)は、昨年10月のツアー開幕から現在までの18公演で1万枚以上を売り上げていると報じている。単純計算で1500万円の売り上げになるわけだ。
「このサービスを考え出したのは、歌手の野口五郎さんなんです」とベテランの芸能ライター。「野口さんが“ライブを持ち帰る”という発想から自ら考案し、基本となる特許も2011年に取得。カラオケ配信やゲーム製作を手がける企業と提携して、13年からは実用化に至っています。自身のコンサートでもカードを配布したこともあります」と続ける。
「システムの特許だけでなく、さらに問題点をクリアにし、模倣を避けるための第2、第3の特許を申請しているところが、事業者として本格的です」と
野口五郎のアイデアはドリカムのコンサートにも応用されているみたいですね。
野口五郎の弔辞
秀樹、君が突然去ってしまったことを知ってから何日が経っただろうか。皆さんに、
気持ちの整理がつくまで少し時間を下さい。そうお願いしたのだけど、どうやってこの
現実を受け止めて良いのか。いまだに君の言葉をいろんなことを思い出して、泣いてば
かりいる。
秀樹との46年間は、簡単に語りきれるものではありません。こんな風に君への弔辞
を読むなんて考えてもいなかった。僕にとって、君は本当に特別な存在だった。
ある時は兄のようでもあり、ある時は弟のようでもあり、親友でもあり、ライバルで
もあって、いつも怒るのは僕で、君は怒ることなく全部受け止めてくれて。いま思うと
僕と君との違いは、心の大きさが違うよね。つくづくそう思うよ。いつも僕が言うこと
を大事に大事に聞いてくれて、何でそんなに信用してくれていたの。
訃報(ふほう)を聞いて君の家に向かう途中で、僕は突然思い出して妻に言った。秀
樹の歌で「ブーメランストリート」という曲があって、ブーメランだから「きっとあな
たは戻って来るだろう」って歌詞だけど、でも戻ってこなかった人を、アンサーソング
として「ブーメランストレート」ってどう、って言ったら、それ良いねって、秀樹、大
笑いして。そしたら彼本当に「ブーメランストレート」っていう曲を出してしまったん
だよ。
君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ
続けていたディスプレーから突然「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もあ
る君の曲の中で、五郎、来てくれたね、君が僕だけに分かる合図を送ってくれたのかな
ってそう思ったよ。
30年ほど前に、君は「チャリティーコンサートをするんだけど、その時の曲を作っ
て欲しい」って、突然言い出した。
「秀樹、僕は人の曲は作らないって知ってるだろ」
「うん、だから作って」
「秀樹、だから作っては日本語変だから」
「うん、最後にみんなで歌う曲作って欲しいんだよ」
「秀樹、悪いけど無理だから。それ出来ないから」
「分かってる。一応締め切りはいついつだから」
「秀樹、それ出来ないからね」って別れたのに。
締め切り日ぎりぎりにパジャマを着て譜面とデモ音源を君の家に届けた僕に、まるで
僕が作ってくるのが当たり前のように、玄関先で「ありがとね」って君は笑顔でひと言
。完全に見透かされてるよね。
今年になってから、その曲がシングルカットされてるのを知って、僕はそれまで知ら
なかったんだよ。シングルカットされているのは。君のマネジャーにお願いして、音源
もらって、マルチがないからCDから君の声だけ取り出して、今年2月の僕のコンサー
トでデュエットした。
なぜ今年だったんだろう。不思議でならない。
コンサートを見に来てくださった君のファンも喜んでくださった、って奥さんから聞
きました。
デビューしてアイドルと呼ばれるようになった僕らは、次はその席を後輩に譲らなけ
れば、そして次の高みを目指さなければと考えていた。その方向が僕らは一緒だった。
同じ方向を目指していた。秀樹は決してアクション歌手ではないし、本物のラブソング
を届ける歌手を目指していたことを、僕は知っている。
1993年、初めての「ふたりのビッグショー」での共演。一緒に歌った「Unch
ained Melody」「Smoke Gets In Your Eyes」ハ
ーモニーの高いパートは僕で、最後に格好良く決めるのは秀樹。でも僕はそんな秀樹が
大好きだった。本当に格好良いと思っていた。
お互い独身時代が長かったから何でも話すようになってゴルフも一緒に行った。君が
車で迎えに来てくれて、僕がおにぎりとみそ汁を用意して、夫婦かなんて言いあって。
僕が「秀樹、結婚するから」って言った時の驚いた顔を忘れない。2月に僕が披露宴を
したときに、「おめでとう」と君に握手を求められた瞬間、僕にはすぐ分かったよ。あ
、こいつ結婚するって。案の定、5カ月後に美紀さんと結婚した。
秋も深まったある日、妻が「もしかして子どもが出来たかも」と言いだし、驚いた僕
は明日病院に行って検査してもらおうと二人で話した。そんなとき、君から突然の電話
。「五郎、まだ誰にも言ってないんだけど、俺、子どもが出来た」。生まれてみれば同
じ女の子で君んちが6月3日、僕んちが6月5日。まじかこれ。当然娘たちの初節句、
ひな祭りも一緒に祝ったよね。
3年前、秀樹の還暦パーティーに出て、サプライズでケーキを持ってステージに出さ
せて頂いた時の秀樹のびっくりした顔、今でも忘れられません。
さかのぼること44年前、1974年。この年僕が「甘い生活」でレコード大賞歌唱
賞を取れると下馬評だったけど、君の「傷だらけのローラ」が受賞。もちろん君は欲し
かった賞だし、当然うれしかったと思う。でも、君は僕の前では喜んだりしなかった。
僕を気遣ったんだと思う。それから2年後、二人で受賞した。そのときは握手して二人
で抱き合った。
そして40年後、還暦パーティーで僕が「抱いていいか」。「何だよ」と言われたけ
ど、僕はそんな君を抱きしめた。その時、君は僕のことを一瞬抱きしめ返そうとした。
その瞬間に君の体の全体重が僕にかかった。それは僕にしか分からない。心の中で、「
秀樹、大丈夫だよ。僕は大丈夫だからね」そう思った。それと同時に、僕の全身が震え
た。こんなぎりぎりで立ってたのか。こんな状態で、ファンの皆さんの前で立ってたの
か。そこまでして、立とうとしていたのか。なんてすごいやつだ。
彼の大きさに驚いて、一瞬頭が真っ白になって、彼のコンサートなのに、サプライズ
で来ている僕が「西城秀樹です」って秀樹のファンの皆様に彼を紹介してしまった。
秀樹ほど、天真爛漫(てんしんらんまん)という言葉がぴったりな人は僕はこれまで
に会ったことがない。何事にもまっすぐで、前向きで、おおらかで。出会う人を全て魅
了する優しさと全てを受け入れる潔さとたくましさ。そんな君を慕う後輩がどんなにた
くさんいたか。僕はうらやましかったよ。
僕もひろみも、秀樹の代わりにはなれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね
。おまえの分も歌い続けるからね。そして君を慕ってくれた後輩たちとともに、僕らの
愛した秀樹の素晴らしさを語っていこうと思います。何よりも君を愛し、支え続けたフ
ァンの方々とともに。
秀樹、お疲れ様。
そして、ありがとう。
もう、リハビリしなくて良いからね。
もう頑張らなくて良いから。
君のかわいい子どもたち、家族を、いつも見守ってあげて欲しい。そしておまえの思
うラブソングを天国で極めてくれ。
秀樹、お疲れ様。
そしてありがとう。
平成30年5月26日、野口五郎。
「秀樹を兄貴と」郷ひろみさん、最初で最後の手紙全文 (5/26)
最近亡くなった西城秀樹の弔辞なんですけど、新御三家として活躍した仲としてとっても仲がよかったことがわかりますね、かなり感動的な文章ですけど、その中にも当時のことを思い出していたのがよくわかりますね。