美輪明宏の身長は?現在は?年収は?若いころ昔の伝説とは?

 

本名】丸山 明宏

【出生名】幼名 臣吾

【生年月日】1935年5月15日

【出身地】長崎県長崎市

【学歴】 国立音楽大学附属高校中退

【職業】
シンガーソングライター、俳優
演出家、タレント

【所属事務所】オフィスミワ

今回は美輪明宏について書いていきたいと思います。高齢になっても歌手やタレントとして生きていけてるのはいいですね。

目次

美輪明宏の身長は?

美輪明宏の身長は意外と?低いです。

なんと161センチだそうですね。昔の人とはいえ、少し小さめですね。

小柄なイメージはなかったのですが。意外に小さな芸能人って結構いるもんなんですね。

美輪明宏の名言、仕事、恋愛人生人間関係。

赤 美輪明宏 麗人だより

他人と自分を比べて優越感や劣等感を持つのはくだらない他人志向。大切なのは自己志向。自分が満足して自分が納得すればいい。

人生経験の豊富な美輪明宏にはいろんな名言があるみたいですね。

中にはなかなかいいものもあるみたいで非常にいいですね。

 

 

美輪明宏 若い頃画像はジョジョに似ている?

今も見た目的にはとても中性的な女性のようないでたちの美輪明宏ですね。

 

デビュー当時もイケメンであることを売りにして、さらには中性的だったことから「シスターボーイ」などと呼ばれて大人気でした。

 

美輪明宏さんは、荒木飛呂彦のジョジョの奇妙な冒険に似た外国人に似ていて

ものすごいイケメンだったということが分かりますね。

ジョジョのようだというのはいいたとえですね、まあ現実ばなれしている顔ではありますけどね。

人間関係のゴタゴタは、自分がいい人間になるための抜き打ちテストだと考えればいい。

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昭和の時代の歌手として有名になった美輪明宏さんですが、デビュー当初はかなりイケメンだったことが分かります。

 

この容姿だったら、男性でも女性でもメロメロになってしまいます。

 

 

当時は整形なども今ほど技術が発達していなかったでしょうし、美輪明宏さんの美しさはきっと生まれながらのものでしょう。

 

80歳を越える現在でも、美しさを保っている芸能人として有名です。

 

 

子供のころ、英語を習っていたため米軍基地で歌う機会を得た美輪明宏さんは、貧しくて衣装も買えないような生活だったといいます。

 

しかし、それがバネとなり大成しました。

 

今ではとても裕福な生活をしていて、衣装もすごくきらびやかなものになっています。

 

きらびやかでなかった衣装を着ていた少年時代でも、衣装はあまり関係ないほどのイケメンですね。

 

女性とも男性ともわからない綺麗な顔をしているんですね。昔の人とはいえそうとう目立つほどの美形であったことは間違いなしですね。

 

美輪明宏は昔はイケメンハーフのよう

 

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今も見た目的には上品な女性といった感じのする美輪明宏さんですが、昔はかなりイケメンでハーフのような顔だちでした。

 

確かに、とても顔だちが素敵です。

 

時代が時代だったらアイドルグループに入っていたかもしれませんね。

 

 

美輪明宏さんの父親はカフェを営業していたそうですが、戦争の影響で金融業に転向せざるを得なくなってしまいます。

 

さらに、戦争のせいで取引先が相次いで破産したり他界したりしてしまったため経営が悪化、美輪明宏さんは高校を辞めなくてはならなくなり、かなり苦労したそうです。

 

貧乏の中で美輪明宏はいろんなことを学んだのではないですかね。いろんな人生経験を積んだということはすごいことではないかと思いますね。

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そして、「ヨイトマケの歌」で大ヒットして一世を風靡します。

 

ヨイトマケの歌は美輪明宏さんが77歳で紅白出場したときにも歌っている歌でしたが、とても感動的な歌です。

 

ヨイトマケの歌は、美輪さんが貧乏でいじめられた悔しさなども盛り込んであり、人生を語ることができる美輪明宏さんならではの歌詞になっています。

 

ヨイトマケの歌は、炭鉱で働く人たちまでもが美輪明宏さんの歌を求めてチケットを買ってくれたので、労働者のための歌も作ろうと思い作詞作曲したといいます。

 

きらびやかなイメージの自分の歌を炭鉱で働く人たちまでもが聴きたいと思ってくれることに感動して、その人たちのための歌も作ったというのがこの歌が生まれたきっかけです。

 

貧乏でいじめられた悔しさや母親に対する愛情などが詰まったいい歌であったのではないですかね。

美輪明宏は霊感があるの?

 

美輪明宏の本

美輪明宏さんは霊が見えるのですか?
いいえ、見えません。ふふふ(笑)昔は見えすぎて困ったから、見えないようにして下さい。と言ってからは、神様から指令が来たときだけ見えるようになった。中井君の前世はみえますよ・・・狸とキツネのハーフで「どん兵衛・・・・」

霊能者とうのは嘘であるというか、もともと違うかったみたいですね、別に霊能者であると嘯いていたわけではないようですね。

 

 

美輪明宏の自宅の住所は、駒沢?

紫 美輪明宏 麗人だより

美輪明宏は36歳のころから住んでいる駒沢に豪邸があるようですね、住所は、世田谷区の駒沢らしいですが、古くから芸能界で活躍してる美輪らしいですね。

美輪明宏の年収は?

黄色 ゴールド 美輪明宏 麗人だより

はっきりとした金額まではわかりませんが、現在も精力的に芸能活動をされていますので相当な金額を稼いでいることは確実ですね。

億とは言わないまでも、何千万円とかせいでいるのは確実ですね。

美輪明宏の現在は?

美輪明宏さんは
現在も精力的に芸能活動をされています。

 

3月31日~4月15日には
「愛の讃歌 ~エディット・ピアフ物語~」
の公演も控えています。

 

「愛の讃歌」は1979年の初演以来何度も
リバイバルされている、美輪さんにとって
思い入れのある作品だそうです。

 

美輪さんは子供の頃長崎で被爆し、
原爆症で貧血や吐血に悩まされた
時期や、

慢性気管支炎になって俳優や歌手活動が
出来ない辛い時期もありました。

 

去年4月には美輪さんが運転する車が
タクシーに接触事故を起こして世間を騒が
せたこともありましたが、

あまり無理をせず生涯現役で活躍して
いただきたいと願います。

美輪明宏は現在も歌や芸能活動を活発にやっています。年齢が80歳を超えてもなおやり続けるのはすごいことであると思いますね。

伝説的な三島由紀夫との出会い

美輪がまだ歌手を目指し音楽学校へ通っていたとき、とある喫茶店でアルバイトをしていたそう。銀座の4丁目にあるその喫茶店、2階はクラブになっていて、そこに三島はよく来ていました。

銀座シャンソン喫茶「銀巴里」で歌う
画像:NAVERまとめ

三島は美輪を見かけると気に入って、「チップを弾むから来い」とホステスでも女給でもない美輪を自分のテーブルに呼んだそうです。美輪はそれには無視をしていましたが、三島のしつこさにテーブルへ行ってみたそうです。

何か飲むか?との問いに美輪は「芸者じゃないので」と断りました。「可愛くない子だなぁ」と三島が言うと「奇麗だから可愛くなくていいんです」と捨て台詞を吐いて、そのまま帰ったそうです。

三島はこの一件で、増々美輪を気に入ったそうですが、なかなか出来ることじゃありませんね。ちなみに、美輪はここであの江戸川乱歩 とも出会っています。

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