フィギュアスケーターから芸能界に飛び込んだ異色アイドルがいる。「ちっひー」の愛称で親しまれるNMB48の川上千尋(19)は小1から8年間、14年ソチ五輪5位の町田樹氏らを育てた大西勝敬コーチの指導を受けてきた。2回にわたり川上が経験談を語る第1回は、競技との出合い、浅田真央さんに接した思い出を振り返る。【

ガクガクと震えた足、四方八方を埋め尽くした大観衆、いい匂いのする花、そして大スターの瞳。川上が鮮明に記憶するのは09年12月27日、地元大阪で行われた全日本選手権。10年バンクーバー五輪代表決定を祝う花束を持ち、浅田さんの元へ勢いよく滑り出した。

川上 (花束を)渡す相手の名前が隠されているあみだくじがあって、じゃんけんに勝った私が「ここ!」って選んだんです。あみだくじの結果、真央ちゃんで…。緊張し過ぎていたんですが「ありがとう、頑張ってね」って言ってもらったのを覚えています。

秋の近畿選手権上位メンバーの中からわずか6人が選ばれた、五輪代表選手への花束プレゼンター。憧れの浅田さんとの一瞬のやりとりから、小5の少女はたくさんの刺激をもらった。

川上 真央ちゃんはスケート選手として凜(りん)としていて、若干気が強いイメージだったんです。でも、その一瞬で柔らかいイメージに変わって…。私もそういう人でありたいとずっと思っています。優しい感じだけれど、舞台に立ったときは凜とした姿を見せたい。真央ちゃんの演技も見たんですが、顔つきが表と裏で変わっていて、すごく尊敬できるところです。

GPファイナルを制した15歳の浅田さんが年齢制限でトリノ五輪出場を逃した05年、小1の川上は大阪・堺市の「上野芝スケートリンク」へ母と足を運んだ。スケート教室では陸上で歩行姿勢を練習。氷に乗るや、一瞬でとりこになった。

川上 難しいだけじゃなく、楽しくて、笑顔になれる。スイスイと滑れるのがうれしくて(魅力に)吸い込まれていきました。

その年、大西コーチと出会い「上野芝スケートクラブ」に所属。クラブの同学年には今季の全日本選手権4位の友野一希(同大)がおり、後輩でジュニアGPファイナル3位の須本光希(大阪・浪速高)らと毎日練習に打ち込んだ。朝練後に小学校へと通い、全関西選手権2位の成績を残した。

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川上 当時の私はむちゃくちゃおとなしくて、ちょっと怒られるとしょげちゃっていた。先生、私にはむっちゃ優しかったんですよ。まずは目の前の大会で上にいきたいと思っていたけれど、心の隅には「オリンピックに出たい」っていう目標があったと思います。

分岐点は中2だった12年。芸能界への興味を知っていた母が、NMB48のオーディション開催を教えてくれた。締め切り3時間前、勢いのままに応募した。